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今月の法話
いのちを使い切る

「つとめ励むのは不死の境地である。怠り怠けるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである」
中村元訳 『真理のことば No21』岩波文庫より

仏事のあと会食をすることがよくあります。特に初七日から四十九日(満中陰)までは、肉や魚を使ってないメニュ―が主流です。
(最近はそうでもないようですけど)精進料理といいます。この「精進」という言葉は、肉魚を使わないということと全く違います。
一般的に、精進努力と言いますが、「精進」とは目標にむかって一生懸命努力をすることです。
 京セラ名誉会長である稲盛和夫氏の著書『生き方』p163のなかで、著者は
※日々の労働によって心は磨かれる。 「私たちが暮らしの中で最も実践しやすく、また心を高める方途として一番基本的かつ重要な用件は、「精進」―努力を惜しまず一生懸命働くことです。 いいかえれば、私たちが自分の人間性を向上させたいと思ったとき、そこにむずかしい修行など必要ありません。ただ、ふだんの暮らしの中で 自分に与えられた役割、あるいは自分が行うべき営為を―それが会社の業務であろうと、家事であろうと、勉学であろうと―粛々と、倦まず弛まず継続していくこと。」 それが、そのまま人格練磨のための修行となるのです。と述べられています。

 自分がこの世に生まれさせていただき、「今、生きている」意義を杉山平一さんは『生』という詩で、

ものをとりに部屋へ入って / 何をとりにきたか忘れて / もどることがある
もどる途中でハタと / 思い出すことがあるが / そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである / その用事は何であったのか
いつの日か思い当たるときのある人は / 幸せである
思い出せぬマゝ / 僕はすごすごとあの世へもどる
と書いています。

 自分のこの世でやるべきことは何なのか。それを達成するためにどう行動するのか、それをいつも問い続けながら精進することが善い生き方です。
一休禅師は「世の中は 食うてはこして寝て起きて さてその後は 死ぬるばかりぞ」と詠んでいます。ただ食べては寝て、食べては寝ての 人糞製造機で終わってはつまらないということです。
 生きがい、やりがいとは、自分や自分の仕事が認められることです。自分が必要とされる人間になることです。
生きてるか死んでるか分からないような生き方でなく、今の自分のいのちを、精一杯輝かせながらいきていかなければなりません。


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