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今月の法話
3月の法話
今月は、法話というよりわたしの日頃の考えを書いたものです。
朝日新聞の「声」欄で掲載されました。いろいろと人により考えは違うでしょうが、 他人の意見を聞き、それをどう受け取るかが大事でありましょう。

朝日新聞「声」には、「お寺の選択に競争原理導入を」というタイトルで載りました。

 七日掲載の佐藤氏のご意見に「ごもっとも」と言うほかはない。かく言う小生も厳しい意見をされたことはないが、周りの人々がそういう目で見ているということを感じている。お葬式や法事の態度、また、お布施のことに対して住職の批判を聞かされる。今の企業や商店にとってその経営は苦しく、他店との競争の激化で淘汰されるか生き残れるかという状態にある。そういう中で仏事のたびにお布施として差し出し、それに対して、感謝の気持ちもなくあまつさえ金額の少ないことに不満を表す住職に我慢がならないようだ。
 住職の質の悪さは言うまでもないが、その責任の一端は檀家にもあると言える。こういえば大変なお叱りを受けるかもしれないが、今のお寺と檀家の関係は、江戸時代寛永年間に行われた「キリシタン改め」により、各家ごとどこかの寺に属し、キリシタンでないことを住職に証明してもらわなければならなかった。いわゆる檀家というものができ、寺院は労せずとも檀家の仏事をやっておれば生活は安泰だったのである。そうして、現在でも「檀家寺を変わってはいけない」と言っている。檀家はいうなれば寺にとっては財産である。少ないよりも多いほうが布施収入が多い。この「変わってはいけない」「変わったら不幸が起きる」などと脅しみたいなことを言って、いわゆる寺同士の競争原理を排除し、寺を選択する機会を奪っているのである。だから今の人々の信仰は家の宗教であり、個人の宗教とはなっていない。三七〇年前の制度にまだ縛られているのが今の仏教界の現状だといえる。競争のないところに発展はない。
 信教の自由があるのだから、自分の確かな眼で気に入ったお寺を選んでほしいと思う。「うちは00の檀家だから」とあきらめるのでなく、商店や銀行などのように、自分で満足のいくお寺を選ぶようになると「いい住職とお寺」が生き残ることになろう。社会に適応できたものだけが生き残ることができる。


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